自ら想像、提案、創造できるエンジニアに。

【本日の社員データ】
柴田くん(入社1年目)新卒入社、20代前半
コアプロダクト部 エンジニア
高専では電気電子情報システム工学を専攻。卒業後、上京してルクレに入社。
朝会議個人発表テーマ:「死んでも悔いの残らないくらいの『何か』を作りたい。」

植松:本日は高専を卒業してルクレに新卒で入社した、柴田くんにお話を伺います。
柴田くんのご実家は、工場を経営しているんだって?!

柴田:はい。これまで周りにはあえて話をしてこなかったことなのですが、
朝会議で自分の業務に対するあり方だけを伝えても面白くないだろうな、
ということと、まずは自分のルーツについて知ってもらおうと思って、自分がなぜ、
モノ作りに目覚めたのかを話しました。僕がエンジニアになろうと決めたのは、
家業のおかげなんです。

植松:でも、ずいぶん辛い思いをしたって言っていたよね?

柴田:そうですね。家業は、大小さまざまな部品を作る工場をやっていました。
もの心付いたときから親父の背中を見てきたのですが、中学生になって、
仕事を本格的に手伝うようになりました。金属を切って、穴を開けて、溝を作って、
六角形にして、面取りを繰り返す・・・そうすると、小さなナットができるんです。
当時の僕はそれが何に使われるのか全く知らないまま油にまみれながら
作業を繰り返していて、一体なんでこんなことをしないといけないのか、
苦しい以外のなにものでもありませんでした。出来上がったナットに1mmの
傷でも付いていようものなら、横っ面に拳が飛んでくるわ、不良品の材料代は
小遣いから引かれるわで・・・。

植松:なかなか厳しい世界なんだ・・・。

柴田:はい。でも、僕が作ったそのナットは、最終的には南極で働く雪上車で
使われていたんです。まさか自分が手がけたものが、それはとても小さいもの
ですけど、南極まで飛んでいくとは思ってもみなかったことで、、、たまたまTVの
ニュースで、その雪上車が元気に働いている姿を見て、僕は本当に泣きました。
そしてその瞬間が、僕がモノ作りという仕事にとり憑かれた瞬間でもあったんです。
そういうことがあって、高専に進学をして、研究に打ち込んでいましたが、
ある時気が付いたんです。僕がやっていることは、「下請け」だということに。
誰かから「こういうのを作ってほしい」という指示があって、自分はただ作るだけ。
自分で工場を経営してモノを作り続けられることの凄さも分かっていたし、
勉強も好きなので高専での日々もそれはそれで楽しかったのですが、今、
このまま進んでしまうのは違うと思ったんです。

植松:なるほど、それで新しいモノを生み出しているルクレに入社を決めた、と。
柴田くんは、これからどんなことをしてみたいと思ってるの?

柴田:僕が人生をかけてやりたいのは、自分から、様々な提案をしてモノを
自分の手から作り出すことです。
なんですが、正直、今はまだまだ、提案できるレベルではないですね。入社して
半年とちょっとですが、エンジニア出身の部長と、技術面でも尊敬できる先輩に
教えてもらいながら、という状態で、仕事の進め方も、もっとこうしたらいい
のにって、歯がゆく思っている方も多いんじゃないかと。。同期の仲間も、
もともと技術力があるやつらばっかりなんで、彼らと仕事をするのが面白いと感じる
反面、焦る気持ちもあります。
だけど、僕の人生の目標は「死んでも悔いの残らないくらいの『何か』を作る」
ということ。それが、今やっているアロバビューになるのか、全く別のソフトウェア
になるのか、そもそもソフトウェアではないなのか・・・
今はまだ分からないですが、それに向かって努力していきたいと思っています。

植松:柴田くんの目標の『何か』が何になるか、今から楽しみにしてるよ!

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